マスター・オブ・ウイスキー座談会
コニサー試験の最高峰、マスター・オブ・ウイスキー(MW、通称マスター)。この最難関の試験をパスしたMWが初めて一同に会し、マスターを取得した経緯をはじめ、ウイスキーを取り巻く状況やMWの役割について語り合った。約2時間の論議は非常に濃く、熱いものとなった。
写真右側より
土屋守/石原裕三氏(2016年度MW)/鈴木勝二氏(2013年度MW)/佐々木太一氏(2011年度MW)/吉田耕司氏(2014年度MW)/倉島英昭氏(2015年度MW)/森田規代子氏(2017年度MW)/渋谷寛氏(コニサー試験審査員)
※本文は Whisky Galore vol.10 (2018年10月発行)に掲載されたものです
※2017年度MWの牧基親氏はスケジュールの都合で欠席
文=Whisky Galore編集部 写真=藤田明弓
― コニサーに挑戦したきっかけ
土屋 2004年に始まったウイスキーコニサーの資格試験も今年で5年目を迎えます。マスター・オブ・ウイスキー(MW)も7名となり、今日は初のマスター座談会を開催することになりました。皆さんに、なぜMWに挑戦したのか、MW資格を取得してからの変化、今後の展望などをお聞きできればと思います。さっそく第1号の佐々木さんから、MW、コニサーに挑戦したきっかけなどを教えていただけますか。
佐々木 2007年にサントリーがウイスキーアンバサダーという資格を立ち上げました。その初年度に僕が認定されたんです。当時大阪のホテル様を中心に営業を担当していたのですが、自社のウイスキー以外のことを聞かれても何も答えられなくて。そんな状況でいろいろ調べたら、ウイスキーコニサーがあることがわかりました。自分自身、目標を見失っていた時期に、この資格と出会って、受けてみようかなと。MWは当時まだ試験すら開催されていなくて、それならと最初は非常に楽観的な動機だったんです。けれども、試験問題を見た瞬間、その難しさに「嘘だろ」と思いました(笑)。
石原 僕の場合は、社内でも社外でもお酒の楽しさを伝えるのが好きで、セミナーをやったりしていました。2011年に大阪に転勤になり、得意先のスーパーにセミナーに行った時に佐々木くんにも来てもらって、コニサーの存在を教えてもらったのが最初です。ウイスキーについて通り一遍の知識はあったんですが、深堀していったらどんどん面白くなり、魅力を感じていきました。
吉田 僕のきっかけは、2000年ごろからお店に来るお客さんの会話や飲むアイテムが変わってきたことです。それで私も勉強し直さないといけないなと思い、勉強を始めました。ウイスキープロフェッショナル(WP)に受かった時に、佐々木さんがMWに受かったことを知って「1人しかまだ受かっていないのか、私もなれるかな」なんて軽い気持ちで受験しました。3回目のMW試験(二次試験)では鈴木さん、倉島さん、僕の3人が受験していたんですよ。僕以外の2人はテイスティングに臨む姿勢が驚くほど真面目で(笑)。これは場違いなところに来てしまったなぁと思いました。
鈴木 すみません、真剣だっただけです(笑)。3人で受験した最初の年は僕が合格して、その次が吉田さん、その次の年に倉島さんが合格したんです。
倉島 僕も何年も挑戦させていただいたんですが、吉田さんとはけっこう一緒に試験を受けました。
石原 吉田さんが受かった時は、僕と吉田さんと倉島さんが一緒に受験しました。
鈴木 同じ人が繰り返しチャレンジしていますよね。あきらめなかった人がとれる資格だと思います。私のきっかけは、ウイスキー文化研究所の前身のスコッチ文化研究所ができたときに(2001年)、私の店も開店し会員になったことです。ウイスキーエキスパート(WE)を受験しようと思ったのは、ウイスキーがどれだけ楽しくて、面白い世界なのかを一人でも多くの人に伝えたいと思ったから。そういったことを伝えられる人間、発信力のある人間になりたかった。その後2007年にWPの試験があり、受けるのが当然といった感じで、さらに同じ理由でMWも受験しました。
倉島 私は酒販店で20年以上働いていますが、WEの試験を受ける少し前に、自分を変えたいと思っていたんです。そんな時に、よく行っているバーのマスターが「こんな試験があるよ」と教えてくれました。それで受けてみようと思ったのが2007年。その後、MWは論文があると知り、自分には到底無理だろうと。でも無理と思っていたら絶対受からないなと思って、2013年に挑戦しました。そこから毎年、論文も何回も書き直して受験していました。2015年に合格できましたが、あきらめないで頑張ってよかったと思っています。
土屋 今年合格した森田さんはいかがですか。
森田 私はWEを受けたのは2005年でした。自分のお店が10周年を迎え、さらに10年後もお店がありますようにという想いで、宮城峡にマイウイスキーを作りに行ったことがきっかけです。その時に出会ったスタッフの方がWEの資格を取っていて。それがきっかけで集中対策講座を受講して勉強しました。今思うと、その頃は「麦芽」という漢字も書けなかったのによくここまでこれたなと思っております。土地柄を生かしたウイスキーの知識もお客様にお伝えできればと思い、導かれるように大阪のことを勉強するようになりました。ちょうどお店の近くが摂津酒造の跡地だったりと、私がMWになれたのも何か導かれるようなものがありました。
― MWの難関、論文審査
倉島 ところでMW合格者の論文を雑誌等に掲載しなくなったのはどうしてですか。
土屋 もともと掲載は予定していなかったんです。しかし多くの方から「論文で何が要求されているのかわかりにくい」という声をいただいて。それもあって、鈴木さんの論文を会員向けフリーペーパー「ウイスキー通信」で掲載させていただきました。また審査基準についてもわかりにくいと言われていたので、会報誌の「コニサー倶楽部」を作った時に、当時の審査員で座談会を開き、その審査基準を掲載しました。論文審査は、最終的には審査員全員の合議です。多い年には10編ぐらいの論文を審査員がそれぞれA~Dで採点します。それを持ち寄って2時間くらい話し合い、合否を決めます。
鈴木 できれば、その後に書いた論文も読んでほしいですね。実は追加論文も書いたんですよ。
土屋 鈴木さんは同じテーマで3回ほど書いたんですよね。森田さんも合格した3回目の論文の出来が一番よかった。「ウイスキー通信」も「コニサー倶楽部」もなくなってしまいましたが、今後は再び何らかの形で論文を公開したいと思っています。
森田 ぜひ公開してもらいたいですし、新たに挑戦してもらいたいですね。
土屋 僕らが重視するのはオリジナリティの部分。森田さんの1、2回目の論文と3回目の論文で大きく違うのはそこだと思います。3回目の論文には森田さんなりのオリジナリティがあった。誰も手をつけていない分野であり、面白さがありました。
渋谷 東京にいる私たちが調べられないようなことも書いていました。足で稼いだ情報ですね。
森田 フィールドワークができたことが面白かったですね。
渋谷 論文を求めること自体、どうなのか悩むところはあります。
石原 しかしWPとMWの境界線として論文がありますよね。WPの知識の延長線上にマスターがあるわけじゃない。
土屋 そのとおりです。論文を書く、書かないは大きな違いです。論文を書こうとする決意と、書く経験をすることは貴重だし、我々はまず、その姿勢を評価します。
― MW取得後の変化
土屋 佐々木さん、石原さん、吉田さんはメーカー勤務、鈴木さんと森田さんはバー、倉島さんは酒販店で日々お客様と接する立場にあります。MWを取る前と取った後で変化はありますか。
佐々木 私は大きく変わりました。2011年にMWを取得した後、2014年4月に希望していたマーケティング部門スキー部に異動になり、3蒸留所マネジメントと取材の全対応窓口を担当することになりました。取材対応をしていると、なんとなく私の話になるんですよ。元バレー選手だったことや、自分のヒューマンスキルにフォーカスされることが多くなって、私個人が取材を受けることも多くなりました。特にこの2年は多いです。
土屋 縁の下の力持ちだったのが、いつの間にか佐々木さんが看板になってPRしているということですね。
佐々木 はい。MW資格をとって大きく人生が変わりました。もしとっていなかったら、バレーの世界に戻った可能性もありましたから。
土屋 バレー界にとっては損失だったかもしれない(笑)。石原さんはどうですか。
石原 私は昨年とったばっかりですが、もともと得意先や社内向けにセミナーをやっていたので、やっとスタートラインに立ったかなと。
吉田 私は仕事というより、ボランティアでやっているバーでの変化が大きいですね。お客様に「どんなのがいいかな」と聞かれることが増えたり、お客様の見変わったと思います。また周囲でWPを受験する方が増えてきて、そういう方にアドバイスをしています。
鈴木 私は佐々木さんに次いで2号なんですけれども、変わってきたのはここ2~3年です。とったばかりの頃は佐々木さんと私の2人しかMWがいなくて、一見の若いお客様が「佐々木太一さんのセミナーに出てとてもよかった」と、少年のような目をして言うんですよ。「佐々木さんて、日本に2人しかいないMWの一人なんですって」と。
一同 それはスゴイですね(笑)
鈴木 僕が「もう一人がどこにいるか知ってます? 僕ですよ」と言ったら、つまらないギャグを聞かされたような顔をされて(笑)。自分はバーのオーナーにすぎず、インターネットなどでも発信したことがないので仕方がないと思うんですけど。でもここ2~3年は酒販店やインポーターの方が積極的に情報をくださったり、仕入れの部分でも助かっている部分があります。 お客さんの中でもまじめにお酒に向き合いたいという人が、昔に比べて格段に増えましたね。
倉島 自分はお店での接客という意味ではあまり変わっていないです。毎回自分がMWだと言うこともないですし。ウイスキー初級講座の講師や、ガロアのテイスターをやらせてもらったり、そんなところが変わったのかなと思います。
土屋 倉島さんがMWだと知らずに買いに来るお客さんが多いということですか。
倉島 だと思います。
土屋 その点は課題ですよね。コニサーをもっと盛り上げて、全国的にMWが有名になって発信していけるようになるとか、それは我々の責任でもあるので、やっていきたいですね。
森田 私はまだ資格をとって4ヶ月くらいですが、プロフィールに「マスター・オブ・ウイスキー」と書けるんだと思うと感慨深いものがありました。ただ、大阪のバーで女性初のMWが誕生したということで、取材をしてくれたのが産経新聞さんだけで。発信するにはまだまだ名前が一般にもマスコミにも伝わっていない状況だと思いました。でも産経新聞を読んだ毎日放送さんから電話があって、テレビ番組「ちちんぷいぷい」で3日に渡って取材していただきました。ここを第一歩として、一生懸命発信します。
― MWの価値を高めるには
土屋 今後、MW、コニサー資格について、価値を高めるにはどうしたらいいでしょうか。
佐々木 MWという資格が何かということを伝えるのはすごく難しい。取ることがすごく難しいことはわかるんですが、それが何なのかというのが難しいですよね。ソムリエというのは職業ですけれども、MWは職業ではないですし。私の場合は蒸留所で年間数十万人というお客様を迎える立場であり、また全国を回れるので、そういう時には自己紹介シートに必ず入れているんですけれども。もう少し試験内容を世の中にアナウンスできればいいのかなとも思うんですけどね。
土屋 これまで試験内容についても公表してこなかったんですが、こんなに難しい試験に受かる人がいるんだ、それはすごいことなんだ、ということをきっちり伝えていく必要がありますね。
森田 私は一般の方にその意味をわかってもらおうとは思っていないんです。でも最低限お酒業界の人には、MWはこうなんだよ、ということをわかってもらいたい。お酒業界の営業はエリア別なので限界があるかもしれないですけれども、知識に応じた担当者がつくようになれば、という思いがあります。
土屋 ウイスキーにおいて知識を身につける大切さというのは、他の酒類と比べてもはるかに大きいですし、ウイスキーの持っている世界の奥深さもあり、知識を持つことは武器になると思いますが、それが浸透していない状況です。
鈴木 知識の有用性と、なぜ知識が必要かという、知識の裏側にある愛情を伝えたいですね。
倉島 我々だけじゃなく、コニサー全体で盛り上がっていかなくちゃいけないと思うんですけど、まだまだMWは知られていないというか、無理だろうと思われている方が多くて。挑戦したいという人が増えれば、より注目してもらえると思います。
土屋 メーカー側として佐々木さん、いかがですか。
佐々木 お酒の知識だけ持っていればお酒が売れるというわけではないので難しい問題ではあるんですけど、確かに営業マンが知らないことが多すぎるという状況はありますね。なので、私は上司にも相談しないで3年間WEの対策講座を社内でやったんです。4年目に大きく拡大しようと思って上司に相談したら、なかなか難しいと。ソムリエの資格対策講座は長く続いていて、社内でソムリエの資格を持っている人は、コニサーよりはるかに多いのですが。今、鈴木さんのお話を聞いて思ったのは、メーカーの人間より、バーテンダーの数が多いと思うので、そこで何か発信したり、動かしたりしたら面白いんじゃないかと。
土屋 全国のバーで働く人たちがみんなWEの資格を持つような世の中にならないと、MWの価値も高まっていかないのかもしれないですね。
石原 メーカーの意識は高めていくべきだと思うんですよ。ウイスキーの資格を名刺に書くとそれはすごく営業として差別化になりますし。得意先に対して質問されることも多くなりましたし、社内でもWEの対策講座をやっています。加えて先日、兵庫県三田市の若いバーテンダー8人に対してWEの対策講座をしいたんですね。皆さん若いんですが、バーのオーナーで、すごく高いモチベーションで聞いてくれるんです。そんな世界をいろんな場所で作れたらいいんじゃないかと思いますね。
森田 10年前、私がWPの資格を取った時に、バーテンダーの先輩に「合格しました」といっても、「森田さん、そんなの取らなくてええんや、もっと楽しくやったらええんや」と言われまして(笑)。今は時代も変わりましたし、先日新聞にも、これからは体育会系的な縦社会の時代ではなく、知識集約型の時代ではないのかという記事がありました。今の若い方々は知的好奇心が強い方も多く、勉強してステップアップしていく楽しさを、喜びに感じる方も多いと思いますから、今ならチャンスなのではないかと思っています。
吉田 ちょうどワインのほうで酒ディプロマというのが始まりました。2020年の東京オリンピックのときに海外の方が日本に来たときに、日本酒をちゃんと語れなくてどうするんだというのが1つの動機なんですけれども、同じことが言えますよね。2020年にジャパニーズウイスキーのことを語れないバーテンダーばっかりだったらどうするんだという。そんな状況ですので、底辺から上げていくべきだと思います。
― 現在のウイスキーブームについて
土屋 ここ2~3年、加速度的に全世界でウイスキーブームに沸いていますが、この状況をどのように感じていますか。
倉島 日ごろ店頭で接客させていただいて感じるのは、新しい、若いお客さんが増えていることです。彼らがどの程度の飲み手になるのかわからないですけど、今回のウイスキーブームは、あまり下がらないんじゃないかという気がします。昨今のクラフトブームもありますし。
土屋 僕が現場取材する中で、造り手の思いや生の声を聞いていると、こんなにもウイスキー造りに熱くなる人たちが世界にいるのかと、驚きます。我々は、誰も経験したことのない時代に突入しているんじゃないかと。その中で何が問われるのか。一つはやはり知識だと思います。どれだけ知識を深めていって発信できるかということにかかっている。先ほど鈴木さんが言った、知識とその裏側にある愛情ですね。また若い人たちがどういう思いでいるのかというのも知りたいところです。
倉島 よく聞くのは、ウイスキーを楽しめる場がないということですね。全国にいるコニサーの人たちが自分のバーでセミナーを開くとか、そういう活動をしてないと盛り上がっていかないかと思います。東京はそういうセミナーも多いけれど、地方ではまだまだ少ないというか。レクチャラーを持っているバーテンダーが自分の店や場所を借りてウイスキーセミナーなり、ウイスキーを楽しく飲もうという気楽な会を開けたらいいんじゃないかと思います。
土屋 一昨年からレクチャラーの資格制度を始めて、現在約70名程度を認定していますが、全国のカルチャーセンターなどから多くの依頼がきます。昔はスクールをやるにも人を集めるのにとても苦労しました。でも今は人が集まる。
鈴木 これまでのブームと比べると、身についたウイスキーの知 レベルは格段に高いと思うんですよ。その高い水準があると、流行としては下がっても、ある程度の人は残っていくのではないでしょうか。僕がやっている対策講座でもよく話しているのですが、「つらいでしょ、知識詰め込み型でしょ、でも知識があるとどんな楽しいことがあると思いますか」というところにつなげていきたい。知識があれば、バーに行った時にどんなボトルがあるかわかる。そうすればバーテンダーもこんなボトルもありますよ、と対応する。そんなコミュニケーションも生まれる。まず知識ありきじゃないけれど、一人一人の愛情レベル、理解力を上げていきたい。
土屋 佐々木さんも広告塔として、ウイスキーを広めていますよね。
佐々木 今のウイスキーブームが落ちない理由の一つは、ジャパニーズウイスキー人気があると思います。ジャパニーイスキーが認められたのは2000年代中盤からですが、それは品質がブレないということが評価されたからだと思います。しかしジャパニーズウイスキーが人気でも、蒸留所に来たことがない人がまだまだ多いんですね。蒸留所に来てもらうと、ウイスキーづくりがいかに難しいものかをわかってもらえると思いますし、日本人のものづくりを理解してもらえるのではと思っています。スコッチ瓶と日本の瓶、何が違うのかとか、ラベルの貼り方一つとっても違いますし。山崎の瓶も12本ずつ一箱に入れますが、1本ずつ段ボールとラベルがぶつからないよう手作業で入れています。日本のおもてなしの心でつくっているウイスキー。フェスでお客さんと話していると、そういう知識も大切じゃないかと思いますね。
石原 全国のウイスキーフェスに行くと若い人が数多く来てますよね。ウイスキーとはなんぞや、という簡単なレクチャーを来場者全員にすれば、もっと会場で楽しめるんじゃないでしょうか。強制はできませんが、ウイスキーと接する絶好のチャンスだからもう一歩踏み込んでほしいなと思います。
― 今後やっていきたいこと
土屋 最後に、今後やりたいことをお聞きしたいと思います。
森田 2020年に竹鶴政孝さんが留学から戻ってきて100周年になりますので、私がやっているチンチン電車のイベントを2020年まで続けたいと思います。その後は、そのとき考えたいと思っていますが、来年はGSサミットも大阪市でありますし。
倉島 自分は今ウイスキーの初級講座と、店頭での販売をやっていますが、1つひとつを大事に、一人でも多くの人にウイスキーの楽しさ、すばらしさを伝えられるように、活動を続けていきたいです。ウイスキースクールも継続してやっていきたいですね。
土屋 リカーズハセガワでは店頭で有料試飲ができます。あの試みは面白いですね。
倉島 海外のお客様にも、こんな酒屋、世界中探してもないよと言われます。ウイスキーは決して安いものじゃないので、気に入った1本を買うためにも必要なことだと思うし、そのほうがウイスキーを好きになってもらえると思います。また、人柄とかそういう部分も見てもらえたらと思いますね。マスターに受かった人はその地位に甘んじないで、さらに勉強を続ける人が多いんです。そういう人じゃないと合格できない。合格してからが大変で、周りの見る目も厳しいですし、注目も浴びます。知識は常に勉強していかないと錆びるものですし、常にアンテナをはっていく必要もあります。僕もMWということを意識して頑張っていきたいです。
土屋 ブラッシュアップセミナーを開催しても、マスターの方々の出席率が高いですよね。皆さんの知識欲はすごいなと思いますし、終わりがないのだなと感じます。
鈴木 僕は「酒好き」って何だろうと毎日のように考える性質なんです。僕が思うところのモルト好き、酒好きって、作り出すのに10年かかる場合もあると思っています。そんなふうに啓蒙しようという気持ちもありますが、場合によってはそういう気持ちを抑え込むことも必要なのかなと。バーッと何かを増やすと、バーッと急激に引く部分もあるのかなと思うので、1人1人と向き合って、自分のペースで地道に伝える努力をしていきたいです。新しい人にもMWに挑戦してほしいですね。
吉田 先ほどプロほど勉強できてないと言いましたが、ホテルの人間は夜勤もあれば、全くシフトが変わることもありますし、その状況で勉強するのが大変なのはわかります。そこでプロ向けの1日だけのウイスキー合宿などをやったら面白いんじゃないでしょうか。
土屋 なるほど。
吉田 短期集中型の講義で知識を深めていくのはありかと思います。
石原 僕がやっていきたいのは、自分がハマったような形でウイスキーを広めていくことです。セミナーでMWの紹介をするときに、ウイスキーの資格制度をゼ口から説明しなければならない。ソムリ工と言えば誰もがワインの資格だと連想できますが、MWも広く認知されるように、環境を整えていきたいです。
佐々木 バーテンダーの皆さんが個々でウイスキーの楽しさを伝えていきたいという話を聞いて、私も気持ちを引き締めなおさなくてはいけないなと思います。山崎蒸溜所設立100周年もありますし、日本のウイスキー100周年という意味合いを持っているのであれば、メーカー側がきちんと発信していかなくてはいけないと。今、私はグローバル・アンバサダーではないのですが、最終的にはならなきゃいけないなとも思います。ジャパニーズウイスキーのアンバサダーを海外の人がやるのも変な話だと思いますし。
土屋 世界にはもっとも難しいといわれるマスター・オブ・ワインという試ありますが、私はこのMWの試験をそれに匹敵するくらいの試験だと思っています。今後、MWのブランド力を上げていくことが次のステップで重要になってくるのではないでしょうか。ウイスキーがただのブームにならず、新しい世界につながるための一つの鍵を、皆さんが握っているんじゃないかと思います。今後ともよろしくお願いします。