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  • 佐藤 一
  • No.MW010 佐藤 一 HAJIME SATOH

    第10代マスター・オブ・ウイスキー。
    アサヒビール株式会社勤務。ウイスキーアンバサダーとして、全国各地で行われるセミナーの講師をはじめ、酒類イベントでのブース対応、社内の資格取得推進の3つを大きな柱とし、幅広く活躍している。

過去最高評価のマスター・オブ・ウイスキー
令和最初のマスター・オブ・ウイスキー(以下、MW)試験の内、論文審査、筆記試験、官能試験、口頭試問の4つの項目中3つでA評価という過去最高評価で合格したアサヒビールに勤務する佐藤一さん。「合格の知らせを聞いた時は嬉しかったですね。初めての受験で、当初は2次試験に進めるかもわからなかったですから」
筆記試験への不安
佐藤さんは現在ウイスキーアンバサダーとして、全国でウイスキーの知識や魅力を伝える仕事をしており、レクチャラーの資格も取得、十分な知識を持っているが、意外にも筆記試験に一番不安があったという。「筆記試験は、土屋代表も常々『超難問』とおっしゃられていましたし、どれだけ難しいのかと心配でした。記述問題が出ることを試験の直前に知ったのですが、記述というのは単純に○かかではないですし、暗記すればよいというものでもない。知っている限りの知識をA4サイズの解答用紙いっぱいに書きましたが、どれくらい点数がとれているかは心配でした。口頭試問や官能試験は、もうその場で対応するしかないなと」
論文は竹鶴政孝の工場候補変遷
佐藤さんの論文は竹鶴政孝の工場候補変遷をテーマにしたもの。竹鶴政孝が江別を候補にした経緯の推測に始まり、余市に決定した経緯、そして現在への提言がまとめられた力作だ。テーマ選定は、佐藤さんが長年疑問に思っていたことを調べる中で、論文にまとめてみようかと考えたことがきっかけ。執筆にあたっては国会図書館に何度も通い、大阪、山崎、余市と資料がありそうな場所には全て足を運んだ。「想像ではなく確度の高い情報で論文を書きたいと思い、調べまくりました。青山のニッカ本社に資料を集めた倉庫のような場所があり、何度も足を運びあらゆるところをひっくり返して調べたんですが、夏は暑いし冬は寒いし、大変でした(笑)」苦労を重ねた論文作成だったが、論文を書くことはとても楽しかったそう。「審査結果がどうであれ、長年疑問に思っていたことをまとめることができて、非常に満足でした。論文提出の際に、思わずその楽しかった思いを手紙で添えてしまったほどです」
MWを目指した理由
MWを目指そうと思った理由の1つは「上位資格があるなら最上位資格まで目指したい」との思いだった。「この先、記憶力や論理的に話ができる力、嗅覚や味覚も、今以上によくなることはないと思ったんです。若い人なら何回もチャレンジできると思うのですが、私は1回やるだけやって、それでダメならもうやらないと決めていました」MW受験を決めた時は60歳を過ぎていたが、それでも結果を出せることを証明したい。結果は見事合格。「志を立てるのに遅すぎるということない」という佐藤さんの座右の銘を見事に体現した。
試験に挑戦する気にさせること
「私の結果が他の人の背中を押すきっかけになったらいいなと思います」今後、佐藤さんはウイスキーに関する知識や資格を得たいという人を増やしていきたいと語る。しかし知識を得たいと考える人は多くても、多くは途中で脱落してしまうそう。「難しいから脱落者が多いのですが、試験には難易度が必要だと思います。どうしたら難しくても最後まで挑戦する気持ちにできるのかを考えていきたいです」佐藤さんは40代になってからワインのシニアソムリエを取得した。当時も、その年代で資格を取得しようと考える人は少なかったという。しかし「資格を取得することで、『わからないことがあればあの人に聞いてみよう』と思ってもらえる存在感を示せる」と佐藤さんは語る。それはどんな場にも当てはまることかもしれない。「活動する中で質問を受けることも多いのですが、調べて後でお答えします、では信頼を得られないと思うんです。人前でウイスキーの話をする以上、きちんと知識を持って、その場で答えられるようにしたい。これからはMWの資格を持っているといったら、それだけで納得していただける部分があるのが、とてもありがたいですね」

『ウイスキーガロア』Vol.20/P.91より引用